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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)10842号 判決 1990年1月12日

原告

閑者義種

被告

高井弘善

主文

一  被告は、原告に対し、金二四七万三〇九〇円及びこれに対する昭和六一年一月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを六分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一四五八万五五六〇円及びこれに対する昭和六一年一月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

次の事故が発生した(以下「本件事故」という。)。

(一) 日時 昭和六〇年六月二一日午前七時四五分頃

(二) 場所 兵庫県川西市平野字カキオジ原三七六番地の二先国道一七三号線路上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 加害車 普通乗用自動車(神戸五八ほ八二七八号)

右運転者 被告

(四) 被害車 普通乗用自動車(神戸三三ち九四三六号)

右運転者 原告

(五) 態様 被告車が、右道路上を進行中、前方が渋滞していたため、本件事故現場において、先行車両の後ろに停止し、サイドブレーキをかけたところ、その直後に、加害車が時速三〇キロメートル以上の速度で追突し、被害車は、約一メートル前方に押し出された。

2  責任原因

被告は、本件事故当時、加害車を保有し、これを自己の運行の用に供していたのであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故によつて原告に生じた損害を賠償する責任がある。

3  受傷の状況、治療経過及び後遺障害

(一) 原告は、本件事故により、頸部捻挫、腰部捻挫の傷害を受け、川西病院の外科、耳鼻咽喉科、整形外科、ベリタス病院内科、協立病院において治療を受けた。

(二) 原告は、前記の治療を受けたが、昭和六一年一月一日、腰部痛、頸部痛の後遺障害を残して、症状が固定した。原告は、歩行するにあたつて二本松葉杖が必要となつており、その程度は、一下肢の用を全廃したものに準じ、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下「後遺障害別等級表」という。)の第五級に該当するというべきである。

4  損害

(一) 休業損害 一七九八万〇三九二円

原告は、本件事故当時、「閑者組」の名で造園土木業を営んでいたが、その業務形態は、(1)原告が第三者から造園土木を請け負つて、自ら指揮、作業をするものと、(2)第三者から注文を受けて、人夫を工事現場に車で送り、統率すること(いわゆる「常用組出」)に分けられるが、原告は事務員を置かず、妻に帳簿記帳の手伝いをさせている程度で、自ら右業務のすべてを行つていた。

原告は、前記受傷により、本件事故の当日から現在までコルセツトを装着し、松葉杖の使用を余儀なくされ、自動車運転のみならず、右の業務に就けない状態となり、本件事故日から症状固定日までの期間(六ケ月と一二日)、まつたく収入を得ることができなかつた。

原告の収入は、別紙収支表のとおり、昭和五九年度下半期は合計一四九五万七二四二円であり、昭和六〇年度上半期は合計一八八二万四一〇〇円であつたから、その総計三三七八万一三四五円を一二ケ月で割つて得られる二八一万五一一二円が平均月収となり、したがつて、右平均月収を基礎に原告の休業損害を算定すると、一七九八万〇三九二円となる。

(二) 傷害慰謝料 一〇〇万円

(三) 逸失利益 四億〇一五〇万九八五三円

前記のとおり、原告の後遺障害は、第五級に該当し、原告は、就労可能な二三年間、その労働能力を七九パーセント喪失したものである。

したがつて、前記平均月収二八一万五一一二円を基礎とし、ホフマン式計算方法により中間利息を控除して原告の被つた逸失利益を計算すると、次のとおりとなる。

(算式)

2,815,112×12×0.79×15.045=401,509,853

(四) 後遺障害慰謝料 一〇〇〇万円

(以上合計 四億三〇四九万〇二四五円)

(五) 弁護士費用 二〇〇万円

5  結論

よつて、原告は被告に対し、前記損害金合計四億三〇四九万〇二四五円のうち金一二五八万五五六〇円及び弁護士費用二〇〇万円の合計金一四五八万五五六〇円並びにこれに対する不法行為の日の後である昭和六一年一月一一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実中、(一)ないし(四)の各事実、(五)の事実中、加害車が被害車に追突したことは認めるが、本件事故の具体的態様は争う。

本件事故当時、加害車が進行していた道路は数キロメートルにわたつて車両が渋滞しており、加害車も進行と停止を反復しながらのろのろと一寸刻みのように進んでいたものであり、被告は、先行していた被害車が停止したことに気付くことが一瞬遅れたため、急停止の措置も及ばず、加害車を追突させてしまつたものである。加害車の進行中の速度さえ時速一〇キロメートル以下であり、追突時の速度はその半分の時速五キロメートルにも達しておらず、追突の衝撃は軽微であつた。現に、加害車前部にはそれと確認できる損傷はなく、また、被害車の後部バンパーに生じたとされる凹みも、それと指摘されても容易に確認しえない程度のものでしかなかつた。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は、いずれも否認する。

前記の本件事故の態様からすれば、原告が受けた衝撃は軽微なもので、原告が腰部捻挫は勿論、頸部捻挫の傷害を負うはずはないのであり、原告も、本件事故直後、身体に格別の異常はないと言つていたため、警察へ事故の申告もしなかつたのである。

仮に原告の訴える症状が認められるとしても、本件事故との因果関係は存しない。

4  同4の事実はいずれも否認する。

原告は、本件事故当時まで、事業により多額の収入を得ていたと主張するが、所轄税務署に対する原告の昭和五九年度の申告所得額は一〇〇万四〇〇〇円にしか過ぎない。

また、原告の主張する収入のうち、常用組出の業務は、職業安定法四四条によつて禁止される労働者供給事業に該当することが明らかである。原告の主張によると、原告は、使用者から賃金として支払われる金額の五割以上もの多額の利得をしていたということになるが、これは極めて悪質であつて、仮に原告が右業務によつて利益を得ていたとしても、それは違法所得であり、しかもその違法性が強い場合に該当するというべきであつて、法律上その賠償は認められるものではない。

三  抗弁

被告は、原告に対し、休業補償として、六四万八〇〇〇円を支払つている。

四  抗弁に対する認否

認める。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生及び被告の責任

請求の原因1の事実中、(一)ないし(四)の各事実、同(五)の事実中、被害車が加害車に追突したこと、同2の事実は当事者間に争いがない。

したがつて、被告は、自賠法三条に基づき、本件事故によつて原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。

二  原告の受傷及び後遺障害の有無

そこで、原告が本件事故によりその主張のような傷害を負い、また後遺障害が残つたか否かについて判断する。

1  本件事故の態様及び原告の受けた衝撃の程度

(一)  前記争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認める甲第一〇号証、成立に争いのない乙第一七、第一八、第一二号証(乙第二一号証は原本の存在とも)、被害車を撮影した写真であることに争いのない検乙第一、第二号証、加害車を撮影した写真であることに争いのない同第三号証、原告本人尋問の結果(後記信用しない部分を除く。)及び被告本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告は、本件事故当日、助手席に訴外暮部一雄(以下「訴外暮部」という。)を乗せ、被害車(トヨペツトクラウン。車両重量一四八〇キログラム)を運転して、本件道路を一の鳥居交差点方面から平野方面に向かつて進行していた。

(2) 被告は、加害車(三菱ランサー。車両重量九〇〇キログラム)に一人で乗つて、本件道路を被害車と同じ方向に進行していたが、本件事故現場付近から先は車両が渋滞しており、被害車が先行車に続いて停止したのを認め、被害車の約五・九メートル後方に停止した。そして、被害車が発進したのを認めて被告も発進したが、被害車が再度停止したため、その後方約四・七メートルの地点で停止し、さらに、被害車がまた発進したのを見て加害車を発進させたが、その直後、カーステレオのカセツトテープを入れ替えようとして脇見をしたため、被害車が停止したことに気付くのが一瞬遅れ、約四・二メートル手前で急制動の措置をとつたが及ばず、加害車の前部バンパー(合成樹脂製)を被害車の後部バンパー(金属製)に追突させ、被害車は前方に約〇・六メートル押し出された。

(3) 本件事故現場付近は、アスフアルト舗装がされ、加害車及び被害車の進行方向に向かつて一〇〇分の四の下り勾配となつており、本件事故当時の天候は小雨であつた。

(4) 原告と被告は、本件事故直後、互いに被害車と加害車の損傷を調べたが、各車両に格別の損傷は認められず、また、原告及び訴外暮部の身体に変調が生じていなかつたため、人損も物損もないということで、その場は別れた。

その後、原告は、被害車を自動車修理業者に見てもらつたところ、後部バンパーが凹んでロアーバツクパネルに当たり、左右リアフエンダーにも傷が入つているとされ、これらを交換するなどの修理をしてもらつた(その費用として七万九二六〇円の見積もりがなされている。)。

一方、被告は、本件事故の日の翌日に警察署に行つた際、警察官から加害車の前部バンパー全体が少し押し込まれている旨の指摘を受けたが、そのまま修理をしないでおいたところ、本件事故から約半年後に行われた実況見分の際には、加害車について破損箇所は認められないとされた。

(二)  ところで、原告は、加害車が時速三〇キロメートル以上の速度で追突してきた旨主張し、本人尋問において、「衝撃の程度からして、加害車は普通に走つてきて被害車に当たつたと思う。」「追突されて腰から上体前部が前に押し出され、肋あるいは右脇腹付近をハンドルの下部で打ち、コクツという音がした。首も前にカクンと行つて更に仰向けになるように後ろに行き、そのときコクツと音がした。」「訴外暮部は、追突直後、前のダツシユボードに両手をついて前への衝撃を防いだが、膝の上に置いていた鞄は下に落ちた。」旨供述して、追突時の衝撃が大きかつたことを協調している。

しかしながら、前認定のとおり、加害車及び被害車は、停止と進行を繰り返しながら進行していたものであり、追突前の加害車の発進状況、進行距離等に照らし、加害車が時速三〇キロメートルもの速度を出せたものとは考えられないばかりか、本件事故のような追突事故の場合、追突される被害車の乗員の身体は、物理学上の慣性の法則により、まず後方に押しつけられるようになるものであり、前方に動くことはあり得ないと考えられること、そして前記加害車及び被害車の損傷の程度等を併せ考えると、追突時の衝撃の程度及び原告らの身体の動き等に関する原告の右供述部分は信用することができず、かえつて、追突時の加害車の速度は時速一〇キロメートルにも満たなかつたものと推認するのが相当である(なお、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認める乙第二二号証によれば、加害車の追突時の速度は時速四・八キロメートル程度であり、加害車に大人一名が乗り、右の速度で大人一名が乗る被害車に追突した場合に被害車に生ずる衝撃加速度は最大で〇・六八Gであつて、その衝撃加速度は、自動車の運転走行中に経験するものとして格別に大きいものとはいえないとされている。)。

(三)  右認定の事実によれば、本件事故により原告が受けた衝撃は軽微なものであつたと推認することができる。

2  原告の治療の経過、各症状の推移

成立に争いのない甲第二ないし第四号証、第九号証、第一一ないし第一七号証、乙第九号証、第一〇号証の一ないし六、第一一号証の一ないし四、第一二号証の一ないし五、第一三、第一四、第一九、第二〇号証、証人小亀正春の証言(以下「小亀証言」という。)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告は、昭和六〇年六月二一日(本件事故の当日)午後、市立川西病院(以下「川西病院」という。)外科で受診し、医師に対し、「朝、自動車に乗つていて追突された。そのときはどうもなかつたが、昼食後頭がキリキリした。冷感があり、発熱感が起きた。」旨述べて、頭部鈍痛を訴えた。そのとき、原告には、嘔気はなく、体温、脈拍、血圧とも異常はなかつたが、頸部筋群、右胸乳突筋に軽度の圧痛が認められ、同医師は、頸部捻挫、腰部痛の傷病名で約一週間の加療休養を要する旨の診断をした。

原告は、その翌日以降連日のように同外科で受診していたが、同月二一日に後頭部に痺れるような感じがあり、また、嘔吐した旨を訴えたほか、同月二四日からは食思不振、嘔気、項部重圧感を、同月二九日には、項部の症状のほか、腰痛、耳鳴り(両側)を訴えるなど、症状が多彩となり、同年七月八日からは、同病院耳鼻咽喉科において、頸性耳鳴又は神経性耳鳴の傷病名で投薬による治療を受けた。そして、同年七月九日からは頸部にカラーを付け、同月二二日からは本人の希望により腰椎用コルセツトも装用した(なお、腰椎用コルセツトは同年一二月四日に外されたが、頸椎用カラーの除去の時期は不明である。)。

(二)  原告は、同年七月二五日、ベリタス病院において、発熱と本件事故以後の排尿時痛、腰痛等を訴え、腎孟腎炎の疑いで、翌日の同月二六日から同月三一日まで入院した。その際、頸部、腰部痛、耳鳴り、下肢の痺れ感を訴えて同病院整形外科で診てもらつたところ、外傷性頸部症候群と診断され、その治療を受けたが、特に他覚的な神経学的異常は認められず、入院しての加療は必要ないと診断された。

また、原告は、同年八月一日に、協立病院整形外科で診察を受け、頸部挫傷、腰部挫傷と診断されたが、ここでは投薬、湿布の治療を受けたのみで、一日通院しただけであつた。

(三)  原告は、同年八月六日、川西病院外科からの紹介で同病院整形外科でも受診するようになつたが、そこでの当初の訴えは、腰椎と頸椎部の鈍痛、右疼痛性の跛行であつた。そして、頸部痛、腰部痛、頭痛は日によつて強まつたり弱まつたりしたが、右下肢については、痛みに加えて、痺れ感も次第に強まり、右足に体重を全部かけて歩くことができなくなつて、二本松葉杖が必要となり、また、座位が困難であるという訴えも加わつた。その他覚的所見としては腰部の可動域制限、第四・第五腰椎、第五腰椎・第一仙椎のそれぞれの間の圧痛、傍脊椎筋緊張亢進が認められ、右疼痛性跛行があるとされたが、頸椎及び腰椎のレントゲン検査上特段の異常は認められず、また、右下肢について知覚麻痺、運動麻痺、血行障害は認められず、原告の訴える症状は自覚症状が主体であつた(なお、長期間続いている頭痛のため、同年一二月二三日、頭部CT検査が行われたが、異常は認められていない。)。

そして、原告は、同病院外科及び整形外科で、次のとおり通院して、主として投薬及び理学療法の治療を受けたが、顕著な症状の改善は見られないまま、後記のとおり、昭和六一年七月二九日、後遺障害の診断を受けた(なお、証拠として提出された診療録上の同病院整形外科の最終診療日は昭和六一年二月一九日、同病院外科のそれは同月一二日であり、それ以降の通院、治療状況については、本件証拠上明らかではない。)。

(外科) (整形外科)

(1) 昭和六〇年六月 八日 〇日

(2) 昭和六〇年七月 二二日 〇日

(3) 昭和六〇年八月 八日 二〇日

(4) 昭和六〇年九月 五日 二三日

(5) 昭和六〇年一〇月 二日 二四日

(6) 昭和六〇年一一月 四日 二四日

(7) 昭和六〇年一二月 七日 二二日

(8) 昭和六一年一月 五日 二〇日

(9) 昭和六一年二月 二日 一二日

また、原告は、昭和六〇年九月頃から眼球の痛み、圧迫感がある旨訴えて同年一〇月一九日から川西病院眼科で受診したが、左眼の前眼部、中間透光体、眼底等に異常は認められないとされた(なお、原告は、昭和三八年に外傷により、右眼は視力が〇・一、外傷性無水晶体眼、外斜視となつていた。)。

(五)  原告は、昭和六一年七月二九日、川西病院整形外科の小亀正春医師(原告の主治医)により、次のとおりの後遺障害の診断がなされた。

(1) 症状固定日 昭和六一年一月一日

(2) 自覚症状 腰部痛、後頸部痛、歩行障害、右下肢痺れ感

(3) 精神・神経の障害、他覚症状及び検査結果等

頸部及び腰部筋の筋緊張と圧痛、右大腿部の自発痛、右足部痺れ感、頸椎の可動性の中等度制限(頸椎部の前屈三〇度、後屈三〇度、右屈三〇度、左屈四〇度、右回旋六〇度、右回旋六〇度)、腰椎の可動性の中等度制限(屈曲四〇度、伸展一五度)

歩行は二本松葉が必要、腰部痛のため座位姿勢はとりにくい

両上下肢深部腱反射正常、知覚障害なし

(4) 障害内容の増悪、緩解の見通し等

腰部・頸部痛と、同部の中等度運動制限は固定している。

(六)  原告は、自動車損害賠償責任保険の後遺障害等級認定手続をしたが、係争中ということで、認定は保留となつている。

なお、原告は、昭和六三年一一月一七日、国民年金法三〇条に基づき、政令で定める二級一五号の障害があると認定されている。

(七)  原告は、昭和一七年九月二日生まれの本件事故当時満四二歳の男性で、昭和四八年からは、後記の造園土木業の仕事に従事し、現場の監督をしたり、車の運転をしていたものであり、本件事故直前に、頸部痛、頭痛、腰痛を訴えたことも、歩行障害を生じたこともなかつた。

3  原告の症状と本件事故との因果関係

以上1及び2で認定した事実に、鑑定人廣谷速人の鑑定の結果(以下「廣谷鑑定」という。)を併せ考慮し、原告の症状と本件事故との関係について検討する。

(一)  頸部の症状

前認定の原告の症状の経過等によれば、原告は、本件事故により頸部挫傷の傷害を負つたものと推認することができ、その程度は軽度のものであつたと認めることができる。

ところで、被告は、本件事故は軽微なものであり、原告が受傷することはありえない旨主張し、前掲乙第二二号証(原告代理人依頼による吉川泰輔作成の自動車工学鑑定書)によれば、同人は、<1>加害車の追突時の速度は時速四・八キロメートル程度である、<2>加害車に大人一名が乗り、右の速度で大人一名が乗る被害車に追突した場合に被害車に生ずる衝撃加速度は最大で〇・六八Gである、<3>〇・六八G程度の衝撃加速度は、自動車の運転走行中に経験するものとして格別に大きいものとはいえない(一般道路を発進する場合における通常の加速度は〇・二G程度、普通の四輪自動車が出しうる最大加速度は〇・六G程度、道路走行中の自動車が急制動をかけて停止したときに生ずる減速度(マイナスの加速度)は最大〇・八G程度である。)、<4>衝撃加速度は被害車の乗員がすべて等しく受けたので、その際に起こる運動も相似であるから、訴外暮部が受傷しないで、原告が受傷するというのには力学的矛盾があるなどとして、本件事故によつて原告に鞭打ち症等が発症する可能性は考えにくいとしている。しかしながら、右はあくまでも工学的な見地からの一般的な考察であり、これのみをもつて原告に直ちに傷害が発生しなかつたということはできず、なるほど、本件事故の衝撃の程度等からすれば、原告が頸部に生理的限界を超えるような過伸展、過屈曲を強いられたとは考えにくいが、廣谷鑑定によれば、原告の訴える症状は外傷性頸部症候群(頸部捻挫・頸部軟部組織損傷)であり、また、頸椎の過伸展、過屈曲という鞭打ち運動がなくとも、エネルギーの多寡にかかわらず、追突という衝撃に対する反射的な防衛反応としての急激な筋・靱帯の過伸展、過収縮、さらにはそれらに起因する筋繊維、靱帯繊維の微小断裂、すなわち軟部組織の傷害(顕微鏡的挫傷)の発生を否定できないとされていること等に鑑みると、右自動車工学的考察をもつて原告の頸部の受傷を否定することはできないというべきである(他に右認定を覆すに足りる証拠は存しない。)。

(二)  腰部の症状

前記のとおり、原告は、本件事故後しばらくしてから腰痛を訴え、後遺障害の診断のなされた昭和六一年七月二九日の時点においても、その自覚症状と腰部筋の緊張と圧痛が認められる。しかしながら、その症状は、自覚症状が中心で他覚的所見に乏しいというべきであるのみならず、本件事故の態様、原告の受けた衝撃の程度等からして腰部に大きな衝撃が加わつたものとは考えにくく、原告が本件事故によつて直接腰部挫傷の傷害を負つたものとは認めがたいというべきである(廣谷鑑定でも、腰部の愁訴については、終始単に腰部傍脊柱筋の過緊張と圧痛によつてのみ診断されているに過ぎず、腰部には筋・靱帯の明らかな挫傷を生ずる程度の強い傷害が存在したものと推定することはできないとしている。)。そして、廣谷鑑定によれば、原告の腰部についての愁訴は、頸部外傷性症候群の合併症とみるのが相当である。

(三)  右下肢の症状

前認定の通り、原告は、本件事故後、右下肢の疼痛、痺れ感を訴え、それが嵩じて右足に荷重がすることが困難となつて歩行に際し二本松葉を使用するに至つているものであるところ、小亀証言によれば、原告は、腰部痛のため座位はもちろん立位が困難となつている上、右大腿部の痛み、右足部の痺れといつた症状もあつて右足に荷重しにくく、跛行状態が出ているとされている。

しかしながら、原告の右症状は、自覚症状が主体で、知覚麻痺、運動麻痺、血行障害は認められないのであつて、右下肢に痛み及び痺れ感が生じ、しかもそれが右下肢の荷重困難の原因となるに至る機転は右証言によつても明らかではないというべきである(小亀証言によれば、同医師も、歩行障害の原因を他覚的に捉えることは困難であり、また、原告の他の症状を含め、これだけリハビリ、投薬等をやつても症状がよくならなかつたことから、原告の症状の経過は特異であると考えられ、神経科で受診し、かつ治療を受けたほうがよい結果が生じたのではないかと思われる面もあつたと述べている。)。

そして、前記のとおり、原告が、本件事故により腰部に筋、靱帯の明らかな挫傷を生じる程度の受傷をしたとは認めがたいこと、廣谷鑑定で、原告の下肢の症状は、本件事故と直接的な因果関係をもつ傷病と断定することはできないとされていること(同鑑定人は、原告の下肢の症状は、慢性疼痛症候群の多彩な表現の一分症と考えられるとしている。)を併せ考慮すると、前記小亀証言をもつてしても、原告の右下肢の症状と本件事故との間に相当因果関係があるとはいまだ認めがたいといわざるを得ず、他にこれを認めるに足りる証拠は存しない。

4  症状固定の時期及び後遺障害の内容、程度

前認定の原告の症状及び治療の経過に廣谷鑑定を併せ考慮すると、原告の症状については、遅くとも昭和六一年一月一日(小亀医師の診断による症状固定日)には症状が固定していたものと認めることができる。

そして、前記認定、説示したことからすれば、本件事故と相当因果関係の認められる症状は、頸部の症状及び腰部の症状(外傷性頸部症候群の合併症)であるところ、原告には、頸部痛及び腰部痛の症状と軽度の頸椎及び腰椎の可動域制限が認められ、その後遺障害の程度は、後遺障害別等級表一四級一〇号「局所に神経症状を残すもの」に該当すると認めるのが相当である(なお、この点について、廣谷鑑定では、頸部の症状について「局所に頑固な疼痛を残す」程度のものとされているが、前記のとおり、原告の症状については他覚的所見に乏しく、また、その自覚症状、可動域の制限の程度等に照らし、いまだ一二級一二号に該当する程度までは達していないものと認められる。)。

三  損害

そこで、以上の認定事実を前提として、本件事故によつて原告が被つた損害について判断する。

1  休業損害 一四二万四七〇二円

(一)  官公署作成部分については成立に争いがなく、その余の作成部分については原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一八、第一九号証、成立に争いのない乙第一、第二号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和四八年頃から「閑者組」の名で造園土木業を営み、本件事故当時、常雇いが約八名、日雇いも一五名ないし二〇名いたこと、原告は造園土木工事の下請業をしていたほか、他の工事業者からの依頼に応じ、人夫を工事現場に派遣し、人夫一人一日当たりいくらという形で原告がまとめて賃金を受け取り、原告がそれを配分すること(原告のいう「常用組出」)も行つていたこと、原告は事務員を置かず、妻に帳簿記帳の手伝いをさせている程度で、受注、現場指揮、支払い等、右業務のほとんどを自ら行つていたことが認められる(なお、原告が本件事故当時満四二歳であつたことは前認定のとおりである。)。

(二)  ところで、原告は、右事業により、昭和五九年度下半期は合計一四九五万七二四二円の、昭和六〇年度上半期は合計一八八二万四一〇〇円の収入があり、本件事故当時、年間三三七八万一三四五円の収入があつたと主張する。

しかしながら、まず、前記「常用組出」による収入を裏付けるものとして原告の援用する甲第五号証の一ないし三五、第七号証の一ないし三三は、いずれも原告が作成した領収書の控えに過ぎず、その裏付けとなるような注文書、帳簿等は一切存せず、また、人夫に支払つたとすると賃金台帳等の資料も全く存しないのであつて、前記「常用組出」が職業安定法四四条により禁止される労働者供給事業に該当するか否かを判断するまでもなく、そもそもそれによる収入があつたことを認めるに足りる証拠は存しないといわざるを得ない。

そして、原告の行つていた下請工事についても、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第六、第八号証の各一ないし三、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和五九年七月一日から昭和六〇年六月三〇日までの一年間に合計七〇〇〇万円以上の工事を受注し、二〇〇〇万円以上の収益をあげたことになるが、その裏付けとなるような帳簿、賃金台帳、工事代金受領を認めるに足りる資料や、右事業の経費を明らかにするに足りる資料も存せず、また、前掲甲第一八、第一九号証、乙第一、第二号証によれば、原告の年間申告所得額は、昭和五七年度で営業収入八〇二万円、所得金額一一九万二〇〇〇円、昭和五八年度で営業収入六七一万円、所得金額一〇五万六〇〇〇円、昭和五九年度で営業収入七二四万八五〇〇円、所得金額一〇〇万四〇〇〇円に過ぎなかつたのであり、しかも、昭和五九年分収支内訳表(前掲乙第二号証)に記載されている売上先と前掲甲第六、第八号証の各一ないし三に記載されている受注先は全く符合しておらず、以上を併せ考えると、原告の工事受注額及びそれによる収入の額がその主張のとおりであつたことについては、その証明は十分でないといわざるをえない(なお、原告本人尋問の結果中には、原告は本件事故当時二〇〇万円以上の月収があつた旨の供述部分もあるが、右説示した点に照らし、にわかに措信しがたい。)。

(三)  以上によれば、原告の本件事故当時の収入については、原告主張のとおりと認めることはできないが、前認定の事業の内容、経営規模、右事業について原告の寄与している度合いに弁論の全趣旨を併せ考慮すると、原告は、本件事故当時、下請けの仕事だけによつても、少なくとも、原告個人の労働力の対価として年間五三三万三五〇〇円(昭和六〇年賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計、原告と同年代の男子労働者平均収入)の収入を得ていたものと推認するのが相当である。

そして、本件事故と相当因果関係のある原告の受傷の内容およびその程度、通院の経過及び治療の内容、原告の事業の内容、原告の果たしていた役割等を総合考慮すると、原告は、本件事故により、本件事故の日から前記症状固定日までの一九五日間について、平均して五〇パーセントの就労の制限を受けたものと認めるのが相当であり、したがつて、前記年収を基礎として原告の被つた休業損害を算定すると、次のとおりとなる(一円未満切捨て。以下同じ)。

(算式)

5,333,500÷365×195×0.5=1,424,702

2  逸失利益 四九万六三八八円

本件受傷のため、原告に後遺障害が残つたこと及びその内容、程度は前記のとおりであるから、原告は症状固定後の二年間にわたつて労働能力を五パーセント喪失したものと認めるのが相当である。

そこで、前記年収額を基礎に、ホフマン式計算方法により中間利息を控除して原告の逸失利益の現価を算出すると、次のとおりとなる。

(算式)

5,333,500×0.05×1.8614=496,388

3 慰謝料 一〇〇万円

前認定の原告の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容、程度、その他本件証拠上認められる諸般の事情を考慮すれば、本件事故によつて原告が受けた肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては、傷害分、後遺障害分を合計して一〇〇万円をもつて相当する。

(以上合計 二九二万一〇九〇円)

四  損害の填補

抗弁事実は当事者間に争いがない。

したがつて、前記損害額から右填補額を控除すると、残額は二二七万三〇九〇円となる。

五  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告は、原告訴訟代理人に本件訴訟の提起及び追行を委任し、相当額の費用及び報酬を支払い、または支払いの約束をしているものと認められるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係にたつ損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は二〇万円と認めるのが相当である。

六  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、被告に対し、金二四七万三〇九〇円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六一年一月一一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 二本松利忠)

昭和59年度下半期収支表

<省略>

<省略>

昭和60年度上半期収支表

<省略>

<省略>

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